Hungarian Dance Nr.1(g-moll);Allegro molto
(ハンガリー舞曲第1番ト短調)
2004年記念祭公演
&
2004年度中央音楽会
作曲 Johanes Brahms
作曲時期 1869年(発表)
初演
所要時間 2:53
1982年 / クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の録音
編成
Fl Picc Ob Cl Fg Hr Tp Cor Tb Tub Timp 打楽器
2 1 2 2 2 4 2 × × × 2(1人) 5 トライアングル
'・*:★独断と偏見に満ちた雑文的楽曲解説★:*・'
ンガリー舞曲は元々一台のピアノの4手のために書かれたいわゆるピアノ連弾曲である。しかしブラームスのピアノ曲は非常に管弦楽曲的で豊かな音色を持つ。かのシューマンを言わしめて曰く「ヴェールをかぶせた交響曲のようだ」。彼はどんな曲を作曲するにも必ずピアノの音が鳴り響いていたという。有名な交響曲第1番ハ短調から第4番ホ短調も例外では無いらしい。それだけブラームスという作曲家にとってピアノという楽器は切っても切れない関係に有るものなのだ。

気づきかもしれないがこの作品には作品番号が無い。というのもハンガリー舞曲というのはブラームスがハンガリー旅行した際その土地で聞いた旋律をピアノ用に書き上げただけであるからだ。事実、このハンガリー舞曲を発表した際もブラームス'作曲'ではなくブラームス'編曲'となっていたのだ。この作品は発表当初から絶大な人気を博した。あまりの人気ぶりにハンガリーの音楽家たちからも嫉妬を買いなんと裁判沙汰まで起こったというのだ。「我らがハンガリーの民謡をまるで自分の作品であるかのように扱うのは著作権の侵害だ」というのが彼らの言い分である。しかしあくまでもブラームス編曲であるし、なにより誰が作曲したのかわからない民謡を扱ったことによりなんの権利の侵害はしていない、とブラームスの勝訴に終わった。とまぁこのようにこの作品の裏には壮絶なドラマがあったのだ。

21曲あるハンガリー舞曲は様々な人の勧めにより作曲家の手によっていくつかオーケストレーションされた。それが3番と10番、そしてこの1番である。そのほかの曲も一応管弦楽版は存在するが全て他者の手によるアレンジである。しかし17番から21番をアレンジしたのがかのドヴォルザークだというのは興味深い。このようにブラームス自体もハンガリーの音楽にインスパイアされ他の音楽家もこのハンガリー舞曲にインスパイアされた。実に影響力の大きい偉大な作品である。

1番はト短調・Allegro molto・4分の2拍子でSostenuto e poco a poco in tempoの中間部を持つ3部形式である。

MIDI(ハンガリー舞曲第1番ト短調ピアノ版)

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