Symphony Nr.5 e-moll op.64(交響曲第5番ホ短調op.64) 第24回
定期演奏会
作曲 Peter Iryich Tchaikovsky
作曲時期 1888年6月〜8月26日
初演 1888年11月17日 / ペテルブルグ
所要時間
第1楽章 14:08
第2楽章 11:34
第3楽章 5:43
第4楽章 12:29
合計 43:54
2005年 / 井上博文指揮都立西高等学校管弦楽部の録音
編成 Fl Picc Ob Cl Fg Hr Tp Cor Tb Tub Timp
3 Fl 3rd 2 2 2 4 2 × 3 1 3(1人) 5部
'・*:★独断と偏見に満ちた雑文的楽曲解説★:*・'

ャイコフスキーは決して幸せな生活を送った作曲家ではなかった。そのため彼の書く交響曲、特に後期3大交響曲と呼ばれる第4番へ短調・第6番ロ短調「悲愴」、そしてこの第5番ホ短調にもどこか暗い影や憂いのようなものが見える。しかしその中でもこの第5番はチャイコフスキーが比較的幸せな時期に創られた。そのため第4番のような圧迫的な激しさや「悲愴」のように救いようの無い悲しみも、それぞれその2曲ほどは無い。が、見方をかえせばこの第5番にはその二つの要素がよい具合に交じり合っている、ということになる。たしかに前者2つほどに突出したものは持たないが両方の特性を持つことによって非常に劇的に、ドラマティックになる。作曲者自身こそ当初この第5番をあまり好んではいなかったようだが、僕はこの第5番ほどチャイコフスキーのよいものをこれだけ抽出した作品は他に無いと思う。

ころでチャイコフスキーの悲しみといえばやはり最も有名なのが同性愛であろう。というより彼は極度のマザー・コンプレックスであったらしい。そのため自分の母親以上の女性にめぐり合うことがなかったため最後まで女性を愛するということが出来なかったようだ。まぁ理由はどうであれ当時のロシアは同性愛は禁じられていたためチャイコフスキーは幸せを掴めぬまま不遇の生涯をとじた。自殺・他殺、様々な説はあるが真偽のほどは定かではない。

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'・*:★第1楽章;Andante-Allegro con anima★:*・'
ホ短調。序奏部はAndanteで4分の4拍子、主部はAllegro con animaで8分の6拍子のソナタ形式。
弦楽の伴奏に乗せクラリネットによって重苦しいAndanteの序奏:「運命の主題」が現われる。「運命の主題」はこの後全楽章に渡って現われ交響曲としての一貫性をもたらすと同時に物語性を帯びさせる。運命の主題による序奏が終わるとAllegro con animaの主部に入る。古いポーランド民謡からとったと思われる第1主題がクラリネット、木管、弦楽、そして大オーケストラへと移り壮絶な盛り上がりを見せ第2主題へと流れ込む。第2主題では一変し非常に悲哀に満ちた旋律となる。晩年傑作・悲愴交響曲を髣髴させる弦楽の響によって奏された後は木管へと移り静かに収束していく。また雰囲気は一変し優美なニ長調の副次主題が奏され華々しい終結部を向かえ提示部は幕を閉じる。展開部でも激しさを衰えさせることなく激烈な展開を見せる。再現部でも微妙に変化し提示部で見せなかったまた新しい情熱が見えてくる。終結部では主に第1主題が変化し激しい絶頂を迎えた後は第1主題によって静か闇の彼方へ消えていく。

MIDI

mp3(井上博文指揮西高管弦楽部)
第1楽章;Andante-Allegro con anima

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'・*:★第2楽章;Andante cantabile,con alcuna licenza★:*・'
ニ長調の8分の12拍子・Andante cantabile,con alcuna licenzaの主部と、嬰ハ短調・4分の4拍子・Moderato con animaの中間部を持つ3部形式。チャイコフスキーの交響曲の中でも屈指のロマンティックさを持つ緩徐楽章。「光が、だが希望は無い・・」という言葉をチャイコフスキーはこの曲に残したらしい。優美で快楽に満ちた主題を打ち消すかのように現われるAllegro non troppoの運命の主題が非常に印象的な曲である。
またこの曲はppppとffffが現われる非常に強弱の差が激しい曲であり我々NPOもこの交響曲に手を焼いた一つの要因である・・・。
弦楽の甘美な和音によって現われる短い序奏を終えるとホルン、そしてクラリネットによって第1主題が、続くオーボエ・ホルンによって奏される第2主題がそれぞれ現われる。中間部では東洋的・ジプシー的なクラリネットの主題提起を皮切りに様々な楽器によってこの主題が奏され複雑に絡んでいく。最後には運命の主題へとなだれ込み第1の絶望を味わうこととなる。続く主部再現では多種多様なオヴリガートを携え最初の主部には見せない華々しく快楽的に曲は膨らんでいく。これらのオヴリガートにこそ天性の旋律美をもつチャイコフスキーの腕がよく現われていると思う。しかし突如として現われる運命の主題によって激しく甘美な響きは再び激しく否定される。運命の主題を通り抜けると、主に第2主題の変形から構成される終結部を向かえ静かに静かに曲は幕を閉じる。

MIDI

mp3(井上博文指揮西高管弦楽部)
第2楽章;Andante cantabile,con alcuna licenza

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'・*:★第3楽章;Valse.Allegro moderato★:*・'
「Valse(ワルツ)」の副題を持つ4分の3拍子・イ長調・Allegro moderatoの3部形式の曲。
交響曲において楽章の中にワルツを組み込むのは非常にめずらしく、前例にもベルリオーズの幻想交響曲ぐらいしかない。当時ヨハン・シュトラウス2世が活躍していたので、大方これに影響されているのだろうというのが現在の見解である。
今までの悲哀を払拭させてくれる明るく流麗なワルツでここでも天才旋律作曲家としてのチャイコフスキーの素晴らしさがにじみ出ている。中間部では軽快に、それでいて複雑に様々な主題が織り交ざりあい、音楽之友社のポケットスコアの言葉を借りるなら「夢幻的な情緒」をあらわす。この複雑さが我らNPOを苦しめたことはいうまでも無い。中間部の影を少々ひきづりつつ主部再現へと突入する。終結部ではワルツへと変化した運命の主題が暗い影を投げかけて静かに消えていくかのように見せるが大合奏によるフィナーレによって華々しく曲は結ばれる。

MIDI

mp3(井上博文指揮西高管弦楽部)
第3楽章;Valse.Allegro moderato

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'・*:★第4楽章;Finale.Andante maestoso-Allegro vivace★:*・'
Andante maestosoの運命の主題によるホ長調・4分の4拍子の序奏部と、Allegro vivaceのホ短調・2分の2拍子・ソナタ形式の主部によってなる「Finale」の名を冠した曲。その名にふさわしく全曲中最も激しく感動に満ち満ちた楽曲となっている。最も特徴的なのは長調へと変化した運命の主題であろう。まるで勝利を歌っているかのような実に爽快なものである。
序奏部はその長調へと変化した運命の主題である。弦楽によって浪々と歌われ、金管群によって華々しく盛り上がるが暗い影を残して静かに消えていく。激しい主部へ突入すると大合奏によって第1主題が奏される。まさに激烈豪華という語が似合うといった感じである。続く第2主題は木管群によって奏される。まるで何かから解放されたかのような開放感に満ち満ちた第2主題は弦楽へと受け渡されさらに金管群の運命の主題による大ファンファーレへと続き提示部を終える。展開部でもその激しさは失われることなく活発な展開をするが何かを思い出したかのように曲は萎縮していく。オーボエ・ファゴット・弦楽を残し静かに終わったかのように見えた曲はいきなり息を吹き返し再現部へ突入する。第1主題・第2主題を向かえ今ひとたび運命の主題が顔を出すのだがこの運命の主題は非常に暗く、まるで逃れられない運命を改めて思い知らせるかのように現われ、運命に押しつぶされたオーケストラの大絶叫と共に再現部を終える。終結部では再び現われたホ長調の運命の主題である。荘厳流麗、勝利を讃えそれに向かっていく行進曲のようにトランペットが高らかに歌う。運命の主題を終えると実にチャイコフスキー色の軽快で激しいフィナーレとなり第1楽章の第1主題が現われ壮大にこの交響曲を終結させる。

MIDI

mp3(井上博文指揮西高管弦楽部)
第4楽章;Finale.Andante maestoso-Allegro vivace

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のように「運命の主題」と呼ばれるものがあるため第4交響曲と共にチャイコフスキーの「運命交響曲」と称される。同じ運命交響曲でもベートーヴェンのもの(交響曲第5番ハ短調『運命』op.67)とは一線を画すのだが、その最大の理由はチャイコフスキーの運命にあると思う。チャイコフスキーの運命、それは同性愛という禁断の性質を持ってしまったためにこの世に堂々と生きられないことに有る。同性愛になってしまったのも運命、そのために他者に迫害されるのも運命、チャイコフスキーにこの運命は大きくのしかかった。しかしこの第5交響曲が後期3大交響曲の中でも異質なのは、その運命に打ち勝つということである。確かに第1楽章で重々しく運命はのしかかるし、第2楽章でも夢見ることを許さないかのように圧迫的に絶望を強いる。しかし第4楽章ではいつのまにか勝利・歓喜へと変化しているのである。この交響曲が素晴らしいところはそこにある。たとえ禁断の同性愛であれ、チャイコフスキーはこの交響曲を介して運命に立ち向かいそれに勝利したのだ。たとえ何度も何度も運命はチャイコフスキーを襲っても最後はチャイコフスキーが勝つ、これほど劇的で感動的な'物語'を今まで見たことはあるだろうか。

た、この交響曲の解釈におもしろいものがあったので紹介しておこう。
この第5交響曲というのは「この標題を説明できるものなら・・・」とこの曲のテーマを作曲者自身頑なに説明を拒んだ。今ではこの第5交響曲は標題の無い絶対音楽としているが、実はこの曲は愛しの男性への想いでは無いだろうか、というのである。仮にそうだとすれば同性愛が認められて無い世の中、口が裂けてもそれを説明することなどできないだろう。第1楽章は同性愛に思い悩むチャイコフスキー。第2楽章ではそれにさらに追い討ちをかけるが、第4楽章は吹っ切れその男性への激しいアプローチへとなり想いをぶつける。もっともこれは信憑性にかける解釈ではあるが仮にそう考えたとしたら実にロマンティックで感傷的な'ラヴソング'である。もっともそんなものでなく絶対音楽であってもこの曲が素晴らしいことにかわりは無い。が、僕はこの解釈は好きであるし、そう考えることによってこの交響曲の奥に秘められている意味が見えてくる、僕はそんな気がしてならない。

の曲をどう解釈するか、それは聴いてから考えてみてください・・・・。

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