●ミッチーのラコステ●
[NPO用語大辞典] [NPO人名大辞典]

○第3回 歴史は繰り返される


本日の天気は昼にほど近い時刻から雨。
しとしとと降り続いては湿度と気温を上昇させ、世の中のほとんどの人が不快に思っていたことだろう。

けれど、管弦部員は違う。
「年がら年中、心は快晴さ!」なんて言うわけではなくて、今日は56thとの顔合わせ会が行われるからである。
あまりの湿気に授業中も寝苦しかったものの、55th全員が放課後の楽しい会の為に
必死に6時間耐えたに違いない。
逆に、56thは時間が近づくにつれて緊張していたことだろう…と思う。去年の55thの経験から言えば。

さて、そんなこんなで開かれた「56thと過ごすある5月の午後」。
毎年恒例なのか、音楽室の譜面台を一気にどけて、椅子を壁際ぎりぎりまでの円状に並べ、
まずはパートごとに腰をおろした。
始まるまでに到着できなかった部長・まりさんの代わりに副部長・ツクシ氏が挨拶を述べてから、
メインの自己紹介へ。
やはり、55thは慣れているせいというか単に個性豊かすぎるのか、おもしろい自己紹介が続いた。
対照的に56thは未だ緊張気味の人が多数…。
確かに、いきなり50人以上の人(しかも半分は先輩)の前で自己紹介しろと言われれば誰だって緊張する。
だがおもしろいのは、5月に「みんなおとなしそうだなぁ…」と思っていた学年が
1年後には何故か恐ろしいほど豹変しているところである。
元々の性格もあるだろうけど、管弦生活の影響も多分にあるだろう。
56thもまた、そんな先輩達に囲まれてこれからきっと管弦色に染まってゆくのである。

ところで、今日の自己紹介の代表としてミッチーの話を引用させてもらおうと思う。
と言うのは、「なるほど〜」とみんなが納得してしまった、これからの管弦に必要かと思われる話なので。
ミッチーは、一通り自分のことを話してから「よろしくお願いします。」と頭を下げて自己紹介を終わろうとした。
と思ったら急に「あ、そうだ!」と思い出したようにこんな話をしてくれた。
自分を「先輩」と呼んでほしくない、とミッチーは言った。
「先輩」と呼ばれたい、という人も珍しいが、公に「先輩」と呼ぶな、という人も珍しい。
ただ、その理由として、ミッチーはこんな例をあげた。
例えば、顔は知っているけれど名前は覚えていない先輩を見かけて
「あれ〜あの人、なんて名前だっけ…?」
と思いながら「先輩!」と声をかけることはあるけれど、
逆に先輩が後輩を見かけて
「あれ〜あの人、なんて名前だっけ…?」
と思いながら「後輩!」と呼ぶことは無い。
その矛盾が気にくわない、とミッチーは言った。
その場は笑い声が溢れたが、実は核心をついた発言だと思う。
先輩後輩の境界が、微妙なバランスで保たれている管弦にとってこの発言は
単なる自己紹介の一部で終わらせてはいけないものだ。
…との勝手な判断で僭越ながらこのコラムに引用させてもらった。

そして、何やら企んでいるだろうなぁとは思っていたが(失礼)、
レク係が「さほりんバスケット」をやろうと言い出した。
さほりんバスケット…数ヶ月前、さほりんという55thヴィオラの仲間が転校してしまう、というときに
レク係は盛大なお別れ会を企画した。その際に、ゲームとして開発されたのがこれである。
内容はいわゆる普通の「何でもバスケット」。
ただし、全員を動かすときは「何でもバスケット!」と叫ぶ代わりに
口に手を当てて「さーほりーん!!」と叫ぶのである。
ルール説明の後、さっそく行われたこのゲーム。
最初のうちは「さーほりーん!」と叫ばずともネタがあるので
「ジーンズの人!」だの「くるぶしソックスの人!」だのいろいろ出ていたが、
そのうちネタも尽きてくる。
そうすると、「もうそろそろ疲れてきた、という人」という何とも後ろ向きなネタや、
「数学で40点以下取ったことある人!」という、今がテスト2週間前という
現実を思い出させるネタなど、苦し紛れになってくる。
そして、だんだん追いつめられて「さーほりーん!」と叫ぶ回数が多くなってきたところで
やっと終了なのである。その時点で真ん中に立っていた人は罰ゲームとして、
今回は一発芸をやらされることになった。

さて、その罰ゲームを受けることとなった人物というのが、Tb.パートのおうみ氏。
何だか困ったあげくに、「マサルさんより…」と突然言い始めて、ある一方を向いて小さな一発芸をやり、
ちょっとの間を置いて音楽室から姿を消し、そのまま戻ってくることはなかった…。
どんな芸をやったか、ここで語るのは野暮というものだろう。

こうして56thとの活動が一応正式に始まったわけだが、また今年も賑やかな部活になるであろうことは
目に見えている。振り返って見ようとすると「あっという間の1年間」かもしれないが、
これから始まると思うと「長い1年間」である。
その長い期間、苦しいこともあるかもしれないけれど、管弦の仲間と一緒ならきっと乗り越えられるだろう。
事実、今までそうやってこの部活は発展してきているのだから。
55th・56thの全員が、1年後に「あっという間だったけど内容は何十年分にも勝る1年間だった」と思えるように…。

2001/05/08(tue) 文責:まっでぃー

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